期間限定、友達さん限定、非常に長く、また不幸自慢の為、暇がある方だけお読み下さいm(_ _)m

その娘は5階の踊り場から下を覗き込んでいました。(飛び降りたら死ねるかな・・・)よくそんな事をするのです。10歳くらいでした。

(私が居なくなったら両親が悲しいかもしれない。けれど幸いうちには1歳下の弟が居る。時が経てば両親も忘れるだろう。何より、食い扶持が一人分減る)

そう、本気で思っていました。

彼女の父は今で言う統合失調症でした。当時はまだ分裂症と言う言葉も付けられておらず、そんな「病」があるなどとは殆どの人が知らなかったでしょう。

彼女が幼い頃から父はよく暴力を振るいました。ちゃぶ台返しは日常茶飯事。 ビール瓶を割ったものを持って母を家の外まで追い回したり、母の髪を掴んで引きずり回したり、母の手を掃除機で吸ったり・・・

今笑っていたかと思うと次の瞬間怒り心頭でビールの入った缶で彼女の頭を殴ったり、思春期の娘の入浴中に扉を開け、やぶから棒に「出て行け」と怒鳴りつけ、父を除いた家族三人家から出され一晩途方に暮れたり、

車のボンネットを開けて分解し盗聴器を探したり、電話を分解して盗聴器を探したり・・・そんな日常を送りながらも生活のために働き、けれど一箇所に長続きしない、そんな父でした。

母はそんな父の代わりのようにフルタイムで働き家事も完璧にこなしていました。

その代わり何時も気持ちに余裕がなくヒステリーでした。

彼女は幼い頃から家の手伝いをさせられていました。小1には洗濯物を入れ畳む事をしていました。

予習、復習、洗濯物、これが小学校に上がった際、彼女に与えられた課題でした。

彼女は母が大好きで褒めて貰えるのが嬉しかったので友だちからの誘いも断ってこれを守りました。実際それを全部こなすと友だちと遊ぶ時間など無かったのです。

当然の事ながら彼女が大きくなるにつれ、手伝いは増えました。

10歳、彼女が5階から下を眺めていた頃、お風呂に水を入れ忘れただけで、洗濯物が乾いているか生乾きなのか判らずそのままにしただけで、その様な事などで一々酷く叱られました。 

彼女はその度に(自分は母の言う事を聞けない悪い子だ)と思いました。

中学生の時、母は彼女によく言いました。「あんたはいいわね、そうやって遊んでいればいいんだから。少しは稼ぐなりしたらどうなの?」

何日もそう言われて彼女は必死にバイト先を探しました。当時は情報誌などはありませんでしたし、彼女なりに考えて探してやっとのことで近所に働き先を見付けました。すると母は「みっともないからやめてよ!」と怒鳴りました。 彼女は1日も働く事なく店を辞めるかたちになりました。

店の人に申し訳なくて本当のことを言えませんでした。

また、中学の夏、何故か微熱がひと月も下がらず家でずっと寝ていた時がありました。これは彼女には針の筵でした。毎日母に言われるのです。

「いいわねあんたは。そうやって寝てればいいんだから。こっちは大変よ。医者に行っても解からないって言われる度に別の医者探して。その度に休まなきゃならないんだから。仕事にも行きづらいったら」

彼女は微熱があっても部活に行きたかったのです。そう両親にも言っていたのです。せめて合宿には行きたいと。けれど熱が下がるまではダメだと言ったのは母なのです。

高校入学の際、運動部はダメだと言われました。微熱の件があったからです。彼女は文化部は嫌でしたが何とかやりがいのありそうな部活を見付けました。 ところが、数ヶ月もするとまた始まったのです。「あんたはいいわね・・・」が。

彼女は部活を辞め学校に申請を出してバイトをしました。 始めはバカにしていたオジサンたちも年末になる頃には彼女の仕事ぶりを評価してよくお菓子をくれるようにまでなりました。 なのに

翌年の四月、弟が野球部に入部すると「片方だけじゃ不公平だからあんたも部活に入りなさい」と言って譲りませんでした。

一年も遅れて、どの部活へ行ったって皆と差が付いていて足を引っ張るのは火を見るより明らかなのに

彼女の両親は弟びいきでした。父は「男同士」が好きで、何をするにも弟から誘い、連れて行きました。母は「完璧に平等にしている」と言っていましたが、意識してか無意識か、やはり弟びいきでした。

こんな事がありました。

彼女が小学校高学年くらいの頃でした。 母がパート勤めをしたいた時期がありました。「どうしても、の時以外は来てはいけない」と言われていましたが、時々どうしても淋しくなり子供の足で片道一時間弱の道のりを歩いて母の所まで行きました。 彼女はその度に帰されました。

けれど弟は度々母と一緒に帰って来ました。母の自転車の荷台に乗って母が押して

ある時などは「お土産」と言って彼女にお菓子の包み紙を持って来ました。 それは母と弟が食べたお菓子の包み紙でした。

夏休みに祖母の家に行った時も。

弟が今で言う熱中症で倒れた事がありました。 母は毎日病院に通い、彼女はひとり残されました。 毎日、毎日。間に1日も彼女との時間を設けることなく母は病院に通いました。

帰って来た弟は高価なおもちゃを2つも買って貰ってニコニコして帰って来ました。

母は言いました。「点滴も太い注射も頑張ったんだもんね〜。 痛いのよ。あんたはいいじゃない、ここで遊んでられたんだから」

彼女は思いました。点滴しても、どんなに太い注射をしても毎日母が来てくれるならその方がずっといいと

母は彼女をはけ口にしていました。恐く無意識にでしょう。母には話し相手も友人もなく、また作る時間も無かったのですから仕方のない事です。

彼女によく父の悪口(愚痴)を言いました。 彼女が一言「お母さんも私たちも大変だけど、病気をして働けなかったりして悩んでる本人が実は1番辛かったりして・・・」と言うと、母は彼女を凄い形相で見て「あんたって優しいのね、私には到底そんな事思えないわ!」と言いました。

その瞬間、彼女は感じました(この人に付いて行かなければ私は生きていけない)

その時から母の言う事が全てになり、彼女にとって父親はこの世で1番忌まわしい存在となり、のその血を引いている事に鳥肌が立つ思いがする程でした。

思春期の頃、心身共にアンバランスで不安定で親を頼りにしたい頃、彼女の父は例の統合失調症の症状が最悪に近い状態になっていました。

彼女は自分が他の人より孤独感を強く感じている事に気づきました。心の真ん中に穴でも空いているような感じでした。

同級生たちは家に帰りたがりました。「早く帰っておこたに当たってちびまる子ちゃん見るの」そんな事を言う気持ちが彼女には理解出来ませんでした。

彼女にとって「家」は安全でもなければ落ち着ける場所でむなく、むしろ危険で不快な場所だったからです。

彼女は愛情に飢えていました。 くれる人は居ませんでした。 相談出来る人も居ませんでした。 彼女は孤独でした。 

そしてある日、甘いお菓子にハマりました。甘い物を食べている間だけは、しあわせな気分になれたからです。けれど飲み下してしまえばそれば終わってしまう。それで次々に食べました。でも、どんなに食べても満足する事はありませんでした。 

彼女は下剤も大量に飲みました。 決して美人とは言えない自分が太ってしまったらきっと誰一人自分を愛してはくれないだろう、そう思いました。

もうお気づきかと思いますがこれは私の物語です。本当はこの先も延々と綴ろうかと思いましたが疲れてしまいました。

続きはまたいずれ。 あるかないかは未定ですが。

長々とお疲れ様でしたm(_ _)m 読んで下さってありがとうございますm(_ _)m

そして不快な思いをさせてしまい本当にごめんなさいm(_ _)m